crossbeat12月号より

IAN BROWN

僕は全部おしまいにして、庭師にでもなろうと思ってたんだ。
でもさ、僕の所にキッズが来ちゃこう言い続けてくれたのさ
「何かやるべきだよ、やってくれよ」ってね

最後の”英国の薔薇”、イアン・ブラウンが遂にソロ・シンガーとしてデビュー!!
活動再開に至るまでの心中と今後の展開、そしてローゼズ解散の理由を衝撃告白
構成●美馬亜貴子 インタビュー●キャロル・クラーク 翻訳●今井スミ

 イアン・ブラウン始動!これまでにもぽつぽつと情報は伝わってきていたが、遂にイアン本人がソロ・アーティストとしての新プロジェクトの全貌を語ってくれた。いやぁ、まずはひと安心。多分みんなも同じ気持ちだろう。何といっても、ローゼズ解散以降の流れの中で一番ワリをくっていたのはイアンなんだから。袂を分かって仕切り直し、という条件はマニやジョン・スクワイアと一緒でも、片や怖いものなしのプライマル・スクリーム、片や早々に新機軸を打ち出し躍進、シーホーセズと、どうしても元の仲間に水をあけられた感は否めない。イアンだけがただ、ローゼズの終焉にまつわるトラウマを引きずっていたような・・・彼の沈黙には、そんな”痛み”さえ漂っていた。

 しかし!ここに届いたシングル”My Star”で、イアン・ブラウンは強靭に、かつしなやかに復活のうなりを上げている。タイトル曲である”My Star”はローゼズ時代から変わらない、きらめくばかりのポジティヴィティに満ちた明るいポップ・ソング。宇宙のイメージをちりばめたSE、奥行きのある音像に、意識の領域も広がる思いがする。

 3曲入りのリスニング・テープには、アルバムに収録される他の曲も2曲入っているのだが、次の”Corpses”は一転して、メランコリックなギターの旋律が美しい、繊細さをたたえた曲。イアン自らが吹く素朴なハーモニカも深い味わい。そして最後の”What Happened 2 Ya Part 2”はブルースを基調にした乾いた趣の曲だ。「お前に何が起こったんだ?」というタイトルには何か示唆的なものを感じたりもして。いや、しかしどの曲も聴いていると、身体の内側から静かに、ふつふつとあったかいものが湧き起こってくる。アプローチは様々だが覚えがあるこの感じ、ああ、やっぱり彼はローゼズに居たんだなぁ。感慨なしには聴けないシングル”My Star”は、来年の1月中旬に発売予定、それと同時に12曲収録のアルバム「Unfinished Monkey Business」(当初伝えられた「King of Monkey」は誤りだったらしい)がリリースされる。歩みだしたイアンを音楽面で支えたのはマニ、ロビー・マディックス、ナイジェル・イピンソン、アジズ・イブラヒム、そしてなんとレニ(!)という元ローゼズ組に加えて、元プライマル・スクリームの歌姫デニス・ジョンソン、そして同郷マンチェスターの若手ドラマー、サイモン・ムーア。そのアルバムの全貌を、イアン本人が『メロディ・メーカー』に語った最新インタビューが以下である。  

「去年の今頃、ローゼズが解散したその当時、僕の周りの人たちはみんな言ってくれたんだ。『自分自身のLPを作るべきだよ、ソロになりなよ』ってね。でも僕にはその気はなかったんだ。僕はただローゼズにいたかっただけで、それが全てだった。僕は全部おしまいにして、庭師にでもなろうと思っていたんだ。でもさ、僕の所にキッズが来てはずっとこう言い続けてくれたんだよ、『何かやるべきだよ、やってくれよ』って。で、僕にも出来るかもって一旦自分で認めたらさ、まず12曲書こうと心に決めたんだ。バンドを結成しようとかは、全然考えてなかった。『曲を仕上げよう』って、それしか考えてなかったんだ。自分自身の体の内にまだ音楽があるんだと感じたのさ」  曲作りが始められると、それは思いのほかスムーズに進行し、イアン本人さえも驚いたという。 「僕は自分がこれほど音楽に堪能とは今まで知らなかったよ」

 レコーディング・セッションはインスピレーションに富んだものであった。

「チズウィック・リーチ・スタジオで録ったんだけどさ、あのレゲエの”トロージャン”のレコードを録音したのと同じ機材を使ったんだぜ。スタジオではすごく気分が良かったな。グレイトだったよ。ああいうあったかい感じのサウンドが好きなんだ」

 イアンは12曲全て、自分でプロデュースとミックスを手がけ、そして他にはエンジニアを2人採用した。これに先駆けて、彼はマルチ・プレイヤーになるため、数カ月楽器の特訓をしていたという。最初に楽器を手にしたときのことにイアンは思いを馳せる。

「試せるものは、とりあえず何でもやってみようと思ってさ。2年くらい前にレニがギターをくれたんだよ。そんとき奴は『いつの日か、俺に感謝するときがくるぜ』なんて言ってたんだけどね。これからはトランペットを演ってみたいと思うんだ。トランペットって大好きなんだよ。意気揚々と勝ち誇った感じでさ」

 イアン自身はアルバム中5曲でベースを、そして4曲でギター、ドラムスとキーボードも4曲で担当しており、トランペットやハーモニカも演奏している。彼はまた、ジャケットも自分で手がけている。

「ナイスな不良少年のショットだよ」

 イアンはまず、今回の作品で彼が成し遂げようとしたことについて語ってくれた。

「僕はただ、自分自身の好きなサウンドをクリエイトしたいと思ったんだ。そして人々の気持ちを上向きに高めたいなって。自分ではそういったものが出来たと思うよ。もし誰かが悲しい気持ちでいたら、僕はその人をハッピーにしたい。そして、もしその人がハッピーなら、もっとハッピーにしてあげたいのさ」

 着手したときから、イアンには確信していたことがひとつあったそうだ。

「またもう一度バンドをやりたいとは思わない。もう充分やったって感じだね。僕は成熟した一人の大人さ。皆の親父役はもう務められないよ」

 ビッグ・バンを伴うような大がかりなカムバックをするよりは、深く印象に残るようなものを作りたいと願い、また何か”一味違ったもの”をやりたいとの企図から、リラックスした雰囲気たっぷりのアルバムを制作した。クールでグルーヴィーで、そしてそこにはかつてのストーン・ローゼズの影を見出すことも可能である。”Can't See Me”はバギーな伝統的ローゼズ・サウンドに近い曲で、イアン自身もそれを認めている。

「そいつはマニがローゼズのために書いたグルーブなんだけどさ、ジョンがどうしてもそれをプレイしたがらなかったんだよ。僕はただそれを覚えていて『そうだ、あれを使わなくちゃ』って思ったんだ。マニがこれまでに創り出したものの中じゃベストだと思うぜ。このアルバムの中では一番ダンスっぽい曲だよ」  比較的アップ・テンポな”My Star”は、恐らく一番先に完成した曲群のひとつであろう。 「これをシングルで出したいと思ったのはさ、すごく時事的だと思ったからなんだ。宇宙ステーション、ミール号のことや、火星探索のことですごく沸いてたり、衛星局を開設したりとか、そういうこと色々さ」 「(シングルのカップリング予定曲)”See The Dawn”はちょっとインドっぽいリード・ブレイクが入るんだ。(もう一つのシングル収録予定曲)”Fourteen”はドラムスだけのジャングルなんだよね」

 そのドラムスはイアンが担当しているそうだ。アルバムからシングル候補になりそうなトラックを他に挙げるとすれば、それは”Nah Nah”だろう。タイトルの言葉を含むコーラスが、メランコリックなメロディに促され、繰り返される曲だ。その曲はキーボードのナイジェル・イピンソンにいきなりインスピレーションが湧いて、その20分後には録音されたとのこと。ナイジェル自身は”気違いじみた”音じゃないかと今も少し心配しているようだが、「そんなことないぜ、グレイトだよ!」とイアンは力説する。

その他アルバムにはインストが何曲かとアコースティック曲”What Happened 2 Ya Part1”が収録されている。これはファンキーで長いインスト部分がフィーちゃーされた”Part2”とは対照的なヴァージョンだ。このアルバムにおいて一際印象的な特徴であるのひとつであるのが、そこに含まれているギター・サウンドの多種多様さだろう。この世界にこれまで存在したほとんど全てのギター・サウンドがそこにある、と言えるのではないだろうか。”Ice Cold Cube”のエンディングは、あるひとつのギター・セットが、繰り返し繰り返し、それに挑戦するかのように反復される別の単独のギター・リフに応戦しているといったものになっている。この曲を作る過程で、イアンは最も満足した瞬間のひとつを経験したという。

「僕はレッド・ツェッペリンは好きじゃないんだけど、でも”胸いっぱいの愛を”にはすごいリード・ブレイクがあるよな。”Ice Cold Cube”の最後のとこのリード・ブレイクは、あの曲にあるのと同じだと思うんだよ」

 その他のアルバム収録曲は”Deep Pile Dreams””Under The Paving Stones The Beach””Sunshine”とのこと。  イアンは現在、来年のイースター(注:98年は4月上旬)付近にツアーを計画している。可能性としてはロビーがベース、サイモンがドラムス、そしてアジズがギターを担当することになるだろう。レニもまた、協力を申し出ている。 「Unfinished Monkey Business」というアルバム・タイトルは、イアンのニックネームである”キング・モンキー”に因んでおり、そしてドッジーのメンバーが先日高級一般紙、ガーディアンの記者をからかったときの会話を、イアン自身が面白がったことにも由来している。ドッジーのマシュー・プリーストはその不運な記者に「彼のことをイアンなんて呼んだりしちゃいけねぇな。”キング・モンキー(猿王)”って呼ばなきゃ」と言ったそうだ。

「僕は『よし、これでいこう』って思ったんだよな。タイトルとしてはバッチリだって感じたんだよな」

 そう語るイアン・ブラウンは、もうストーン・ローゼズ崩壊について苦々しく語ることはない。しかし、今も心底後悔しているような様子である。

「(初期の頃)僕達は本当に仲が良くてさ、固い絆があったんだ。それこそ青春時代に求めてたものだと思うよ、そういうメンタリティっていうか。僕達はよく、自分らがどれだけ仲がいいかってことを冗談にして笑ったもんだった。誰も割り込めなかったよ。皆で腰を下ろして喋って、お互いの彼女のことをからかったりしてさ。そしてそれから、随分離れ離れになっちまって・・・」

「僕達はすごく長い時間一緒にプレイしたもんさ。朝10時から夜7時までとかね。でもその後、何らかの理由で、ジョンがレニとはプレイしたがらなくなったんだ。僕達はあの『セカンド・カミング』を92年に作り始めたんだ、ドラム・ループに合わせてね。そしたらレニが『じゃあ、何で俺はここにいるんだ?』ってことになっちゃってさ。それが始まりだった。一年間で300日スタジオにいたのに、僕達が一緒に飯食ったのは、たった4回だったんだぜ」

 バンド内の人間関係は次第に悪化し、95年春にはレニが脱退、その間イアンは自分自身を”平和維持役”のように考えていた。

「僕は全員と親友だったからな。95年の終わりには、僕達は日本とオーストラリア、イギリスで公演したんだけど、それまでにないほど上手くプレイできたんだぜ。最高の音を出せたよ」

「ジョンが去年の3月にバンドを辞めたとき、僕にとってはほんとに驚きだった。あれでジ・エンドだったんだよ・・・。あのまま続けて、僕達の手でローゼズの神話をうち砕き、神秘をぶち壊すことだってできると思ったよ、ナイジェルとロビーとアジズの新しいラインナップでさ。『僕達はストーン・ローゼズになれるさ。今まであった全てのことは、ここに至るまでの準備段階だったんだよ』って感じでね。でもレディング・フェスの後、人々が『ジョン抜きでは、お前らはローゼズなんかじゃないね』って言い始めてさ」

 96年のレディングはイアンの歌唱が、無残なほどボロクソに酷評されたライヴである。

「僕自身はあの日、楽しんだんだよな。ステージを去るときの、オーディエンスが突き出した沢山の腕や、ニコニコした顔を見てさ。でも数日後、そのライヴのテープを聴いたときは、自分でも”何てこった、歌がボロボロにひでぇじゃねぇか”って思ったんだ。ライヴの前日にちゃんと寝ておくべきだった。結局僕は朝8時まで起きてたんだよ。もし僕がちゃんと寝てたら、バッチリ熱いライヴになってたはずなのに」

「僕がプレスで読んだあのギグに関する評は全部当たってるよ。バンドはやる気充分でホント素晴らしかった、でもシンガーがそれを台なしにしたのさ。間違いない」

 その年の10月、マニがプライマル・スクリームに加入するためバンドを脱退。ストーン・ローゼズはその歴史に終止符を打った。

「(思い沈んだように)僕達はある意味で”ジョージ・ベスト”しちまったんだよ(注:80年代に活躍した名サッカー選手。酒と麻薬で身を持ち崩し、稀代の才能を無駄にした形で引退)。僕達自身の手で何もかも駄目にしちまったのさ」

 ジョンとの関係はそれ以来修復されていない。 「(あっさりと)付き合いはないよ。あれ以来口もきいてない」

 現在お気に入りの音楽がウータン・クランからジャマイカのアンソニー・Bまでというイアン・ブラウンにとっては、シーホーセズは心惹かれるものではないようだ。

「彼らの音は、彼らの存在そのものを表してるよな。つまり、ひとつのバンドの四分の一ってこと。サウンドが貧弱過ぎるよ、敢えて言わせてもらえばさ」

「ストーン・ローゼズの後を継ぐなんてことは、不可能に近いね。ローゼズはそれだけのバンドだったんだから。これから先、あれほど本能的に溶け込んで一体化できるようなミュージシャン達と出会えるかどうかは、僕には疑問だしね。あのレディングの後でさえも自分の能力を証明しなければって気持ちに駆られたこともないんだ。『僕だってちゃんと歌えるんだぜ』って、皆の認識が間違ってると証明してみせようなんてつもりは全然ないよ。大体において、僕は将来に関してはすごく楽観的だしさ。今の気分は上々だよ。アルバムも上々に仕上がったしね。それに僕はもう、次のアルバムに取りかかり始めたんだよ」

 新たな一歩を踏み出したイアンも、ようやく気持ちの整理がついたのだろうか、それまで頑なに口を閉ざしていたローゼズ解散までの経緯と当時の心境を語ってくれた。それにしても「レニを脱退に追いやったのはジョンだった」というくだりが衝撃的過ぎて、とてもにわかには信じられない。これまでは「レニが辞めたことで人間関係のバランスが崩れ、自分もバンドを離れようという気持ちになった」というジョンの言葉が定説になっていたのだ。ここまで極端な見解の相違が何故起こってしまったのか。友情から音楽が生まれ、生み出された音楽によってその友情が一層強固なものになるという終わりなき(はずだった)循環構造が、何故崩壊したのか。この真相はジョンのほうにも訊いてみなくては・・・。  

ともあれ、これでローゼズ以降の全員の道筋が決まったわけだが、意気揚々と今後の展開を語ってくれたイアンの成長はその中でも最もめざましい。30過ぎて未知の楽器を手にし、表現の幅を拡げた彼の何と前向きなミュージシャンシップ!様々な傷を心に負い、ローゼズの喪失感を乗り越えて、なおポジティブであろうとする彼の姿には、まぎれもなく、私たちが全幅の信頼を寄せた清廉な魂が宿っている。   ■■


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