buzz 1997年11月号 完全沈黙から一年、イアン・ブラウン、すべてを語る。

IAN BROWN I'M BACK!

ローゼズが果たしたこと------。多分、こんな世界でも必死に生きていこうとしてるみんなに、「間違っちゃいないんだ」っていう希望を一瞬でも確信させられたことじゃないかな。・・・この記憶はきっと一生僕の中に生き続けるだろうね

苦闘の日々を抜け、今再び最前線へ。90年代最大の「肯定」を鳴らした栄光を蝕んでいた悲劇の歳月とは何だったのか。再出発の意志とともにすべてを白日の下にさらす決断を下したイアン・ブラウン、その第一声全文掲載! 復活の第一声である。96年レディング・フェスティヴァルで行われた記者会見以来、公式なインタヴーまでさかのぼれば95年年末ウェンブリー・アリーナの楽屋裏で姉妹誌ロッキング・オンが行った取材以来の、イアン・ブラウン世界第一声である。もちろん、彼がこうして公の場に出てこられるようになった精神的背景には、その復活の照準が明確に定まったという自信があったはずだ。不断に行われていた創作活動に最前線復帰への確信を得、長らく宙に浮いていた契約問題も先頃ポリドールUKと無事取り交わしソロ・デビュー・シングルを来年早々にリリースする目処が立った。この第一声は、そうしたイアンへの惜しみない祝福と押さえきれない期待とともに奪取されたのだ。しかし、悲劇的なことだが、その輝かしい第一歩は彼自身の口によるローゼズ崩壊への道程という「踏み絵」と同時にしか踏み出せないのである。おそらくは今後、何百という復活取材の中で当然問われてくるだろう「謎」。そんなことは不毛だし、消耗である。僕たちはだからあえてその真相を問う場所を一度きりにしたかった。イアン自身、そうした僕らの意図を踏まえてくれたうえで実現したのがこのインタヴーである。正直言ってしまえば、ここで聞かれるであろう発言には相当ヘヴィーなものが含まれると覚悟していた。あのレディング記者会見で唾棄されたジョン・スクワイアへの言葉を思い起こしてみればそれは当然だったし、実際読んでもらえばわかるが、かなり困惑するものになっている。しかし、それは僕らにとっても同様に「踏み絵」なのだと思い、全文掲載した。いま、僕はこう感じている。彼らが「世界を変えよう」というとてつもない不可能に向かっていったいどれだけのエネルギーを燃やしていたかを。そして、それにはいったいどれだけの軋轢と葛藤と衝突が費やされてきたかを。ここで語られた言葉から本当に感じるべきなのは、すべての問題は、不可能を可能にしようと格闘した当事者たちが、ただの生身の人間たちだったということじゃないのかと。そしてそうだったからこそ、ローゼズのメッセージは僕たちに眩い希望を与えてくれたのだ。イアンは復活した。ジョンも歩んでいるし、マニも、レニもそれぞれの道を自分の手で照らそうとしている。そうなのだ。僕たちは前へ進んでいくしかないのだ。そう思いたい。テキスト=宮嵜広司+児島由紀子 撮影=MARTYN GOODACRE

●まずは、お久しぶり、と言わせてください。そして、あなたがこの取材を受けてくれたことを日本のファンを代表して感謝します。僕たちはあなたとこうして再び会えることを心から待っていました。あなたがポリドールUKと契約を交わし、いよいよ最前線へ乗り出すという報道を知った時は、本当に感動しました。

「(ぎこちない笑顔で『ありがとう』のジェスチャー)」

●今日の取材では、あなたの復活の第一声を聞くのと同時に、あなたにとってはあまり思い出したくない過去についても訊かなければならないと思ってます。

「(一瞬、身を硬くした後、自分に言い聞かせるかのように『うん、うん』とうなずく)」

●・・・かなりの痛みを伴う行為だとは思いますが、できる限り率直に、正直に答えていただけると---。

「うん、そうするよ。僕としてもこれはどうしても一度はやらなきゃならないことだと思ってたから」

●はい。それではまずは今の心境の確認なんですが、こうして世界第一声でプレスに答えてくれるということは、今あなたはこれまでの過去に対してある種すっきりとした気持ちを持てるようになった、と考えていいんでしょうか。

「・・・すっきり、っていうのとはまだまだほど遠いとは思うけど、以前よりは過去を振り返ること自体が苦痛じゃなくなったっていうか・・・。あの出来事(ジョンの突然脱退)が起きた後の数カ月ってのは本当に辛いなんてもんじゃなくて、毎朝目が覚めるたびに『もしかしてあれはただの悪夢だったんじゃないか?』『早くバンドのみんなに電話してリハーサル・スタジオへ行かなきゃ』『ジョンの奴また寝坊してんじゃないか?』なんて調子で、自分の置かれてる状況がどうしても信じられなかったんだよね。で、ちゃんと目が覚めた時点で『ああ、あれは本当に起きたことだったんだ。もうこのバンドにジョンは居ないんだ。これが現実なんだ』ってのを否が応でも認識させられて昨日と同じように途方に暮れる、っていう・・・そういう日々の繰り返しだったんだ。だから当時の僕としては『これからはジョンなしでバンドを続けていかなきゃならないんだ』ってことを自分に納得させるのが何よりも難しかったし、自分でもどうしても信じられなかったんだよ。何でこんなことになってしまったんだろう?何でよりによってあのジョンと僕の間にこんな事態が起きてしまったんだろう?っていう疑問だらけで・・・(顔にありありと苦痛の色を浮かべ黙り込んでしまう)」

●・・・それはたまらなかったでしょう、当事者にしてみると・・・。実際、一年あまりの完全沈黙があったのですが、あなたの最後の言葉というのはあの昨年8月のレディング・フェスティヴァルでの記者会見だったわけです。今さら古傷をこじ開ける気は毛頭ないんですが、あの会見におけるあなたの言葉、そしてマニの言葉というのは我々ファンにとって非常に残酷なものでした。あなた自身今振り返ってみてどう感じてます?

「でもあの会見における言葉の一言一言があの時の僕やマニの心境そのものだったんだよ。ジョンがバンドをやめたこと自体より、そのやめ方ってのがあまりにヒド過ぎたから・・・あんな言葉が口をついて出てしまったんだと思う。そりゃ僕だってあのジョンがローゼズをやめる決心をしたからには相当悩み、考えぬいたあげくだろうから、その決断自体についてとやかく言うつもりはないけど。でも10年以上も同じバンドを続け、あらゆる浮き沈みを共有してきた人間たちに対し、電話一本でけりをつけようとした奴のやり方があまりに誠意がないと思ったし、情けなかったんだ。ある日いきなり電話がかかってきて『今の自分はフェイクだからもう演奏する気もないし、バンドもやめたい』なんて言い出すんだからね。誰だってびっくりするし動揺するってもんだよ。僕もとっさに『こりゃかなりシリアスだな』と感じたから、『急に何言い出すんだよ?お前がフェイクなんてことがあるもんか。そんなに思い詰めてるんなら直接会ってじっくり話し合おう。お前も2〜3日ゆっくり頭を冷やしてみて、それでもまだ気が変わらないっていうんなら即電話してくれ。とにかく会って話し合おうぜ』ってことになってたのに、それっきりナシのつぶてだったんだよ。そうこうしてる間にあちこちのプレスでジョンの脱退宣言や再スタート宣言を見出しにした記事を見かけるようになった・・・凄く裏切られた気分だったね、僕がその後、奴の留守電に何度も残したメッセージには完全無視をキメ込んでたのに。で、そのうち『何でもジョンは以前住んでたフラットから引っ越したらしい』って噂が人づてに入ってきて・・・ああ、もう僕らと連絡を取り合う気さえないんだな、ってことを嫌でも思い知らされた。そういう状態のままレディングを迎え、記者会見に臨むことになってしまったから僕もマニもあんな言い方しかできなかったんだよ」

●えっ?えっ?じゃあジョンがローゼズのみんなに電話して「バンドをやめたい」と告げた後、メンバー全員を集めての緊急ミーティングを2回行ったというのは・・・。

「メンバー全員を集めてのミーティングだって?そんなもの一回もなしだよ。だってあの時、奴が僕に『自分はフェイクだから、やめたい』って電話してきて以来、ローゼズのメンバーは誰一人とも奴に会ってさえいないんだからね。ちょうどその電話が僕にあった頃、休暇中だったマニには、ホリデイから帰ってきた頃ジョンから電話が一本入ったらしいけど。本当にジョンとローゼズ関係者たちとのパーソナルなコミュニケーションはそれっきりだったんだ。

●そんな・・・。

「僕としても信じられなかったよ。10年以上も同じバンドで寝食をともにしてきて、それ以前は20年近くもあらゆるものをシェアしながら一緒に育ってきた仲だってのに・・・そのお返しが『バンドをやめたい』っていう電話一本と、数週間後、弁護士からきた『もうジョン・スクワイアはストーン・ローゼズとは一切関係を断つことになったので、メンバー間の金銭的配分を明らかにしたい』っていう手紙一通だったとはね。奴にはもう僕ら4人(イアン本人とマニ、ロビー・マディックス、ナイジェル・イッピンソン)と直接会って最後のディスカッションをする気さえなかったんだ。もの凄く悲しかったし、腹が立ったし、情けなかったね。じゃあ過去30年、俺たちのあの30年は一体何だったんだ?っていう・・・(感極まって言葉を失う)。・・・個人的にも奴が参加したローゼズ最後のツアーはあのバンドの歴史の中でも最も壮絶なものになったと自負してたんだ。特にこの取材(ローゼズが表紙のRO96年3月号=95年末の、ウェンブリー・アリーナ楽屋取材)をやった日のウェンブリーのギグや、その前日シェフィールドでやったギグなんかは『まさに今の自分たちは現シーンの中でも無敵の存在だ』と確信させてくれるほどのものだったし。バンド内の人間関係においても特に心配しなきゃならないほどの問題はないと思ってた、すくなくとも僕個人の視点から見たぶんにはさ。だって考えてもみてくれよ。僕らはかつてあのマンチェスターのスラム街で10年以上も失業保険生活をともにしてきた仲なんだぜ。率直な話し合いで解決できない問題なんか僕らにあるわけないんだって。だからいきなりジョンからあんな電話があって、奴が実はあそこまで思い詰めてたってことを知った時は本当に驚愕したし、どうしたって信じられなかったんだよ」

●・・・もうこちらとしても混乱とショックで言葉を失ってしまうんですけど・・。その後、ほどなくしてローゼズは解散声明を発表したわけですが。あの時のあなたの「いつの日か、このクソだめのような業界のストーリーについて話す時がくるだろう」というコメントがあそこまで悲痛かつ苦々しいトーンを持っていたのは、裏にそういう事情があったからなんですね。

「かといってうらみつらみに凝り固まってたからあんな発言をしたわけじゃないんだ。だけどそれまで自分が最も信頼してた人物、こいつになら自分の命だって安心して預けられるとまで思ってた人間からでさえ、あんな扱いを受けた直後だったからね。あのジョンをそこまでも血も涙もない奴に変貌させるほど汚い業界なら、きっと世界一汚いんだろうと思ってああいう言い方をしたんだよ。あの時ばかりはマジで一刻も早くこんな業界からはおさらばしたい、って気持ちでいっぱいだったからさ」

●事実あれ以来、あなたは今日に至るまで一切の接触から身を隠していたわけですが。今、冷静に考えてみたとき、そもそもの問題の発端、ローゼズ内におけるメンバー間の関係性がいぜんと変わり始めた根源的な要因は何だったと思います?何故ジョンはあの時点になって、過去10年以上も寝食をともにしてきたバンド仲間と別れなきゃならないと感じたんでしょう?

「多分・・・凄く複雑で様々な因子がからんでのあげくなんだろうけど。何と言ってもジョンと僕らとの波長がズレ始めるようになったきっかけは奴がコカインに手を出し始めたことだったと思うんだ。それも奴のはかなり深刻なタイプの依存になってたしさ。僕らや他のバンド関係者たちがごく軽い気分で息抜きのために楽しむドラッグの使い方とは違って、やたらヘヴィでタチの悪いタイプの中毒症状が出てたんだよ。もともとコカインってやり過ぎるとどんな人間でも極端な誇大妄想とパラノイアが交互に襲ってくるようになるもんだけど、奴の場合はその波が特に激しくてね。もともと内向的でものを深く考えすぎるタイプだけに、奴のネガティブな資質ばかりが増幅されて・・・いつ理由もなく不機嫌になってぷいと居なくなってしまうか解らないって感じだったし、その後、少なくとも数週間は家に閉じ籠ってしまって誰ともコミュニケーションを取りたがらないっていうパターンの繰り返しで・・・おかげで僕ら全員がいつもジョンに接する時はまるでハレ物に触るようにしてたんだ」

●でも脱退する直前頃のジョンはもうコカインとは完全に縁が切れてたんでしょう?

「いやあ・・・それはどうかな。だってあの『セカンド・カミング』用のワールド・ツアーにおいてさえ最後までコカイン漬けだったんだぜ。その後たった3カ月(ジョンが脱退宣言をしたのはワールド・ツアーを95年の年末ウェンブリー・アリーナでの最終ギグで終えた、その約3カ月後だった)であそこまでシリアスな薬物依存から脱せるとは思えないし・・・」

●・・・。じゃあ前マネージメントとのいざこざというのはどの程度バンドにとってシリアスな問題になってたと思います?

「そう、あれもかなり大きかったと思うな。まさかあの男(ローゼズの前マネージャー、ガレス・エヴァンズ)があそこまで僕らの信頼を踏みにじるような奴だったとは。実際にバンドの経理士からそれまで奴がどれだけバンドの運営費を着服してきてるか、っていう証拠書類を見せてもらうまでは僕らとしても信じられなかったくらいだしさ。だから確かにあの事件も、それまでは水も漏らさないほど親密だったローゼズ関係者たちのお互いに対する信頼を、不信に変えてしまう決定的な要因のひとつになったと思う」

●しかしこうして振り返ってみると、第二期ローゼズ、つまり『セカンド・カミング』発表後、レニの脱退という事件とともにスタートしたローゼズというのは、やはり内部に抜き差しならない状況があったんだなと想像できるわけですが。その後、徐々に襲ってきたバンドの解散→そして各メンバーのソロ活動、という今の状況は、やはりレニの脱退からその歯車が回ってたんでしょうか。

「・・・。でもローゼズ内の人間関係がおかしくなり始めたのはもっと以前からだったんだ。具体的には91年頃、ジョンが『次作用のレコーディングにはもうレニのドラムは使いたくない』って言い出して、『セカンド・カミング』ように書かれてた曲の全部をドラム・ループを使ってレコーディングし始めてからだよ」

●えっ?どういうことですか?

「うん、信じられないだろうけどこれが神に誓って真実なんだ。今までこの件に関しては『ローゼズのため』ってことでメンバーやバンド関係者たち全員に箝口令をしいていたんだけどね」

●ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。我々にしてみればローゼズ最大の謎はやはりレニの突然脱退だったわけですけど、ということはレニがローゼズをやめたくなったそもそもの発端には、そういうことがあったんですか?

「そう、誰だってやる気なくしちゃうよな、そんなことされると・・・。レニの立場がないじゃないか。だからこそレニは『セカンド・カミング』用のレコーディングに顔を出したがらなかったんだよ。だってそうだろ?『そら新作のレコーディングに入るぞ!』って連絡が入ってスタジオへ駆けつけてみたら、自分のパートのほとんどが機械で録音済みになってたんだから。誰だって急に意味もなくのけ者にされた気になって、そんなバンドやめたくなるって。だからレニもその頃からジョンがスタジオに居ない時を見はからって『一体これはどうなってるんだ?これじゃ俺がこのバンドに居る必要もないじゃないか』って僕に何度も訴えてくるようになったんだよね。で、それ以来だよ、ローゼズ内の人間関係がどうもギクシャクし始めたのは。以前はあれほどお互いに対して抱いていた絶対的な信頼が、あの出来事をきっかけに徐々にぬぐいきれない不信感に変わり始めてたんだ」

●・・・そうだったんですか・・・。しかしジョンはまた何故急に新作用の曲を全部ドラム・ループを使って録音する、なんて気になったんでしょうね?

「究極的にはあの当時(シングル”ワン・ラブ”で第一期ローゼズを終え、ゲフィンと契約を交わした後、メジャー移籍第一弾『セカンド・カミング』用の曲作りに入った頃)奴が書き始めた、以前とは違うスタイルの曲をレニが生ドラムでうまく演奏できないんじゃないか?と疑ってたのが理由だったみたいだよ。コカインに深入りし始めてから傲慢で誇大妄想になってたんだろうな・・・ローゼズの中で自分だけが音楽的に進歩して、僕やマニやレニはもう自分にはついてこれない、とうすうす思ってたみたいで。それが表面化するようになった手始めが『次作用のレコーディングにはもうレニのドラムは使いたくない』っていうジョンの一言だったんだ。個人的には奴のあの一言を聞いた瞬間から『ああ、もうこのバンドは長くないな』と内心思ったんだけど」

●・・・。で、実はですね、半年ほど前ジョン・レッキーに取材する機会があったんですが。彼いわく「やはりゲフィンと交わしてしまった超高額契約というのは、当時彼らの表現意欲にとって少なからず悪影響があったと思う」と語ったんです。誰しも突然、ある朝目覚めて大金が転がり込んでいたら、自分を見失うと思うんですよね。こういったことにもあの91年頃のあなたがたは狂わされていたんじゃないでしょうか。

「そりゃまあ・・・一時的にはメンバー全員が有頂天になってたかも知れないけど。どんな大金でも使う一方だったらあっと言う間になくなっちゃうしさ。『セカンド・カミング』完成までの5年間ずっと家や車を買うことだけに夢中になってたわけじゃないし、そのことが原因で音楽に対する意欲がまるっきりなくなったなんてことはないと思うよ。そりゃ当時のローゼズ内の状況を知らない外部の人間にとってみれば、2ndまでに5年もかかったことや、あのアルバムに収録されてる曲のほとんどをジョンが書いてることの理由を契約金の多さに見出したいのかも知れないけど。ローゼズがあらゆる意味でおかしくなり始めたきっかけは、ジョンがローゼズの他のメンバーたちの音楽的才能を疑い始めたことだったんだよ。特にレニの才能を、さ。嘘だと思うなら今度レニに会った時、直接訊いてごらん。きっと僕の言ってることと全く同じ返事が返ってくる筈だよ。だってこれが神に誓ってあの当時のローゼズの内部事情、真相だったんだから」

●それにしてもあまりに予想外というか、ショッキングな事実ばかりが暴露されるもので・・・。じゃあ『セカンド・カミング』を最終的にやはりレニのドラムでいこう、という決断に至るまでの経緯というのは?

「僕とマニでジョンを『これじゃレニの立場がない。バンドのためにもこれは非常に悪影響を及ぼすから、考え直してくれ』って説得して、やっと無事にレコーディングを終えたんだ、最終的には。でもレニはもうすでにバンドをやめたがってて、『セカンド・カミング』用のツアーにはどうなだめようとしても参加したがらなかった。で、ツアーが始まるほんの数週間前にレニはついに正式に脱退してしまったわけだけど・・・。この辺の経緯はもう知ってるだろ?」

●ええ・・・。実際『セカンド・カミング』以後のあなたの発言を振り返ってみると、あの95年末のウェンブリー・アリーナでの楽屋取材においてさえ、「これからのローゼズはもっと良くなっていくんだ。ライブ・アルバムを出して、すぐさまニュー・アルバムなんだ!」と語っていたように、基本的にはポジティブなものでした。しかしあなたの中では内心ローゼズに対する不安みたいなものはあったわけですよね?

「そりゃ・・・まるっきり不安がなかったっていえば嘘になるかも知れないけど。でも僕の性分としては、たとえ自分がどんな出口なしの状況にいる時でも、常にその中で最大限のポジティブさだけを掬い上げよう、って主義だからね。僕までが暗い顔してるとバンドのみんなとしても余計やりきれなくなるだろうと思って、あえてポジに振る舞ってたってところも少なからずあったかも知れない」

●なるほど・・・。さらに『セカンド・カミング』以後のローゼズについて特に気になったのは、あなたとジョンが同じインタヴューで答える機会というのがほとんど皆無になってしまった、という点だったんです。実際うちの単行本(『ザ・ストーン・ローゼズ・ドキュメント』)用の取材の時以外は一本もジョンとのジョイント・インタヴューってのはやってませんよね。これはどういう理由からだったんでしょう?

「うーん・・・ジョンって昔から他人にあれこれ指示されて行動するのが何よりも嫌いな奴だったからなあ。それ以前の取材だってマネージャーやジャーナリストに要請されて僕とジョイントって形でやってたわけじゃなかったし。あくまでもその時のジョンの気分次第で僕のインタヴューや他のメンバーのインタヴューに同席してただけだから・・・。そのうち僕と一緒に取材を受けなくなったことにしても、奴の気が乗らなくなったからだとしか僕には想像できないんだ。何故、僕との取材に気が乗らなくなったのか?ジョン以外の誰にも説明できないことだと思うし、正直言って僕には解らないよ。何故、奴があの頃から僕をある意味避けるようになったのか?はね。そういう自分の内面の深いところについてはあんまり他人とディスカッションしたがらない男でもあったし」

●でもあなたとジョンというのはそれこそよちよち歩きを始めた頃からの親友だったわけでしょう?そんな2人が大した理由もなくお互いを避けるようになったなんて、どうしても納得できないんですけど。

「僕個人は一度だって奴を避けたつもりはないんだよ。だけど奴がこと自分のバンドを運営する力量に関しては、それこそ誰をも寄せつけないほどのプライドを抱いていたことだけは僕も何となく感づいてたんだ。勿論ジョンはそんなこと一言も口には出さなかったけど。特にローゼズ初期の頃から奴はレコード・ジャケットのデザインも全て自分で受け持つは、音楽的にも音作りだけじゃなく詞まで書くわ、って調子でもの凄くバンドに対して貢献してたわけで。にも拘らずライブの際オーディエンスを見渡せば半分以上が例のレニ・ハットをかぶってるし、プレスにローゼズ関係の記事が載ればほとんどの場合が『イアン・ブラウンの発言がどうのこうの』的な内容ばかり。って調子で何か自分のバンドに対する貢献度を外部にはあまり認めてもらえてないんじゃないか?っていう気持ちがあったみたいだね。だからバンドがブレイクして、2ndアルバムを作る段になった時に、僕ら3人(イアン本人とレニ、マニ)とは違った方向性で自分の実力を試してみよう、と思ったんじゃないかな。事実ちょうどあの頃からだったしさ、ジョンが何だかんだ口実を作っては僕と一緒に曲を書く機会を避けるようになったのは・・・。だから僕としても『じゃあこの2ndアルバムは奴の好きなように、思い通りに作らせてやろう』ってことで奴の希望を全て呑むようにしたし、音楽性も収録曲も全て奴のチョイス通りにした。僕があのアルバムように書いてた曲群は”ストレート・トゥ・ザ・マン”を除いて全部ボツにされちゃったけど、それも黙って呑んだ。それで奴の気が済むのなら、バンド内の人間関係が少しでも好転するのなら、と思ってね」

●・・・なるほど。それが・・・実はジョンがローゼズ脱退を正式表明した直後あたりに彼にも取材したんですが、その時のジョンによると「レニ脱退後の自分はバンドの中で孤立するようになっていた。ローゼズというバンドの体質もまるっきり変わってきて、それも自分があのバンドを去りたいと思い始めた理由のひとつだった」と語ってたんですよ。

「今頃になって矛盾したこと言うもんだなあ。そもそもレニがローゼズに居づらくなったのは自分が『もうレニを使いたくない』って言い出したことが発端だったのに。じゃ本当にレニがそんなに恋しいなら何でレニが脱退して以来一度も電話さえしないんだ?って奴に訊きたいよ、僕は。実際、英国プレスとの取材においてもジョンの『僕はレニが恋しい。レニが居なくなった後のローゼズは何かが死んでしまった』発言を何度か目にしたけど、とても本心から出た言葉とは思えないね。だってレニがあんなに悩んでた時、知らないうちに自分のパートを機械で録音されてたことに傷ついて『もう俺なんかこのバンドには必要ないんじゃないか?』と揺れてた時でさえ一度もレニと話したがらなかったし、その結果レニが正式に脱退してしまった時でさえ電話一本入れてやらなかったくせに、今頃になってよくそんなことが言えるもんだよ。実はレニ本人でさえ奴の発言には怒り狂って僕んとこへ電話してきたくらいなんだよね。『もともとは自分が俺をバンドから追い出したがったくせに、よくも今頃になってこんな偽善めいた言葉が吐けるもんだ!そのあげく俺が正式にローゼズをやめることを発表した時でさえ電話一本よこさなかったくせに!』ってさ」

●・・・・・・。

「なのに自分がローゼズを脱退することになった時の原因をレニの脱退と結びつけるなんて・・・つくづく腹の中では何考えてるか解んない奴だよな」

●でも、でも、まさかあのジョンが。

「そりゃ僕だって過去30年近くも兄弟以上のつき合いをしてきた男がそんな奴だったなんて信じたくはないよ。僕だって何度もこれは何かの間違いだろうと思いたくて・・・(高ぶった感情が少しおさまるのを待ってから)、あの一見、恥ずかしがり屋でセンシティブで内向的な少年性の下に、あそこまで冷酷で非情な利己的な側面が潜んでたなんてさ。・・・でもまあ何らかの形で成功ってものを手にするためには誰でもある程度、例刻で非情なところを持ってなきゃならないんだろうけど・・・僕としてはできれば奴のそういう側面は一生知らないでいたかったよ。そうなる以前の奴と過ごした日々が素晴らし過ぎただけにね」

●・・・。じゃあこういう時期にこういう質問をするのもちょっと酷なような気もするんですが、あえて訊かせてください。今のイアン・ブラウンにとって、ローゼズというバンドで過ごした時期というのはどういう季節だったんでしょうか。

「・・・僕らみたいな、一人一人の個人として見れば別にスペシャルでもない存在たちが、何らかの形で少しでもこの世界に貢献することができたってこと。この事実のほうが、あのバンドは自分にとってどうだったか?ってことよりも重要なんだ」

●やはりあれは自分にとってひとつの思春期だった、そんな風に思うことは?

「いや、とんでもない、思春期だなんて。そんな一時的で一過性のものじゃなかったんだよ、ストーン・ローゼズは。もっともっと切実で必然で命懸けのものだったんだ。マジでこのバンドなら世界を変えることができる、そう信じてたんだから。・・・少なくともあの頃の僕やマニやレニや・・・そしてジョンはさ」

●・・・。実は最近の取材でジョンはこの解散と思春期ということについて、「思春期を捨てるというのは、『俺たちは一生の友達なんだ』という幻想を捨て、互いに別の方向に成長していくんだってことを引き受けていくことなんだ」と語ってたんですよ。あなたはどうでしょう?

「今のジョンが思春期を脱してるとは思えないね、僕は。奴が大人の男になるまでにはもっともっといろんな面で成長する必要があるよ。悪いけど僕に言わせれば今のジョンはまだまだ子供性がぬけきれてない30男、そんなとこかな」

●それはまたどういう理由から?

「だって大人の男ってのは10年以上も一緒に頑張ってきたバンド仲間たちに対し、あんな夜逃げするようなやめ方はしないもんだぜ。いくら本人たちに面と向かって言いにくいようなことであろうと、ちゃんと直接会って話し合ってからやめるものだって。だからそれができないうちは僕は奴を大人の男だとは認めないんだ」

●ふーむ・・・じゃ非常に訊きにくい質問なんですが。かつて生まれ故郷の公園の砂場で出会い、一緒にイタズラもやりながら育ち、そして世界を変えたバンドをともにやり、今こうなってしまった現在のジョンに対して、何か言うことはありますか?

「・・・現時点においては特にないね。あそこまでして手に入れたかった『ローゼズからの独立』なんだから、お前なりにせいぜい頑張ってくれよな、ってことぐらいで」

●じゃ今、改めて振り返ってみた時、あのバンドが世界に向けて果たした功績、そして自分に残してくれたものについて、それぞれ語っていただけないでしょうか。

「多分・・・こんな世界においてさえも必死で生きていこうとしてるみんなに、一瞬だけでも『そういう自分は間違っちゃいないんだ』って希望を確信させることができた、ってことなんじゃないかな。で、それをやることによって同時に僕ら発信者側もその希望を信じることができた、っていう。・・・そしてこの記憶はきっと一生僕の中に生き続けるだろうね」

●・・・なるほど。じゃあ再び91年頃のローゼズの話しになるんですが、ヒッピホップを聴くようなボーダーレスなリスナーにとって”フールズ・ゴールド”であなたがたがやったようなサウンドは今もって最高のイノヴェイティヴ・ナンバーでした。しかし当時などは特にそうだったでしょうが、保守的でオーソドックスなロック・リスナーにしてみると、あのナンバーはただループを多用しているだけだという失望をかった部分もあったかと思います。つまり”フールズ・ゴールド”はそういうリトマス紙的ナンバーでもあったと思うんですよね。で、これはあくまでも想像なんですが、例えばこの曲の制作をめぐって、ジョン・スクワイアというアーティストと方向性の違いを決定的に感じた、なんてことはなかったでしょうか。

「確実にあったね、それは。といっても別にあの曲の制作中にサウンド構成をめぐって奴と大口論になったとかいうんじゃないけど・・・実はジョンってローゼズで活動してた期間の最後の最後まであの曲が嫌いだったんだ。ちょうどあの当時からツェッペリン系の音に傾倒しかけてもいたしさ。だからそういういろんな因子が重なった結果、『セカンド・カミング』のサウンド傾向をあんな感じにする気になったのかも知れない。一言で言うとあの当時のジョンってのはあまりに過去の英雄たち、例えばツェッペリンなどの古典に傾倒し過ぎてて、自分も含めたローゼズというバンドに対する確信を失いかけてたんだよ。『セカンド・カミング』録音中のスタジオにおいても暇さえあればツェッペリン時代のジミー・ペイジのライブを放心したような顔で見入ってたしね。そりゃギターみたいな、非常にテクニカルな楽器のプレイヤーっていう奴の立場から言えば、過去の達人たちのスタイルを見て勉強することも重要なのかも知れないけど。でもそれに取り憑かれ過ぎて自分や他のメンバーたちのプレイヤビリティに疑いを抱くようになってしまったら、かえって逆効果だしさ。そういう意味でも奴の当時の”ツェッペリンかぶれ”には僕もかなりイヤな予感がしてたんだ」

●ふーむ・・・なるほどねえ。それではまたここで非常に訊きにくい質問をしなければならないんですが、シーホーセズのアルバムを聴いたあなたの率直な感想というのを。

「実は・・・僕まだそのアルバム聴いてないんだよ。個人的にも特にレコード屋まで走って行ってむさぼり聴きたいようなレコードでもないし・・・」

●まだ時期的にはそこまでふっ切れてないからですか?

「・・・現時点においてはあんまり気乗りするような話題じゃないことだけは確かだよね」


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